歴史公園
えさし藤原の郷
2002/09/16
遠野へ行ったついでと言ってはなんですが、
宿を取った北上の隣町になる江刺に、
TVドラマや映画のロケ地にもなったりしている、
歴史公園があると言うので足を伸ばしてみました。
奥州藤原氏に縁の豊田館(とよたのたち)や、
平安時代の建築物が多数建てられていました。

見学順路のはじめは、政庁北門と言う名の付いた門。

政庁北門前、イベント広場横の舞楽殿前を行く催しものの一団。

政庁北門から入って見た、政庁裏側。

正面から見た政庁。
政庁と言うからには、政治が行われた所の様です。
中には装束などの展示もあります。
VAIOのパノラマソフトで4枚の写真を合わせてみました。。

政庁から萩の花が咲く坂を登って行くと見えて来たのが、
奥州藤原氏初代清衡(きよひら)の父、
経清(つねきよ)の住いを再現した、経清館(旧豊田舘)の櫓門。




経清館で行われていた、「原体剣舞」。
おりしも翌日は藤原経清公のご命日とかで、
特別に法要の為に舞われたもの。
先ほど見た催しものの一団はこれだったみたいです。

たまたまやっていた「江刺の語りべ」コーナーで、
江刺の歴史のお勉強・・・。
今年何かと話題の、
蝦夷(えみし)の王「阿弖流為(アテルイ)」から、
奥州藤原三代(四代泰衡の時に滅亡)、
果ては、源義経ジンギスカン説まで、
実に楽しいお話を聞く事が出来ました。

帰り際、イベント広場に場所を移していた「原体剣舞」と再遭遇。
もう少し見てまわりたかったのですが、写真からも判る通り、
当日の天候は雨だったので、早めに退場することにしました。
実は、こちらを訪れたのは今回が初めてではありません。
遠野祭りの後、時間がある時に何度か来ています。
今回は珍しい「原体剣舞」を見ることが出来ましたが、
以前は、「江刺鹿踊」に出会いました。
「清衡館」「金色堂」「城柵」「伽羅御所」など、
その時写した写真も何処かに保存してある筈なので、
おいおい追加して行きたいと思います。
NHKの大河ドラマに、「炎立つ」と言うのがありましたが、
奥州藤原氏が題材であり、ドラマのロケ地ともなったのが、
現在の「えさし藤原の郷」でした。
その後も大河ドラマのロケに頻繁に使われており、
「毛利元就」「秀吉」「花の乱」「北条時宗」「利家とまつ」、
映画では、「五条霊戦記」「陰陽師」などなど・・・。
たまたま、「陰陽師」と「利家とまつ」を続けて見る機会があり、
よく見たら、それぞれに見たことのある場所が出てきて、
なぜか笑えて来てしまいました・・・。(^_^;)
えさし藤原の郷HP
五位塚遺跡
2002/09/17
「前九年の役(江刺では合戦と言うらしい・・・)」で敗れた、
清衡の父経清とその一族の墓と伝えられているところ。
前日「藤原の郷」できょうが命日と聞いたので訪ねてみました。
山の中で天候も悪く、暗い写真になってしまいましたが・・・。



午前中、早い時間に着いたつもりだったのですが、
さすがにもう、お花が供えてありました。
傍らには真新しい石碑が建てられておりました。
日付は、平成十四年九月十七日・・・
って、建てたばかりではないですか!!(@_@)
豊田館(とよたのたち)跡
2002/09/17
「五位塚遺跡」の北西方向の高台にある、
経清、清衡の居城があったとされる場所。



奥州藤原氏は平泉と言うイメージが強い感じがしますが、
父経清が、安倍氏の娘婿となり、亘理(わたり:現宮城県)から、
江刺郡(現江刺市)に移り居を構え(豊田舘:とよたのたち)、
1056年に、ここで清衡が生まれたと言われています。
前九年の役(合戦)に経清が敗れた後、
母親とともに出羽の清原氏に入り(清衡7歳)、
清原氏の内紛から後三年の役(合戦)を経て平泉に移るまで、
清衡は、ここから奥州を納めていたとされています。
現在も、江刺の町がよく見渡せます。
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